左面
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以下は大分旧聞になりますが、
こんな呼び掛けをしている方がいました。
期待通りに事は運んだんでしょうかね。
大連1
大連③

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所で私は22年前、平成13年(2001年)に大連、旅順、秦皇島を
訪問しました。
当時我が社でアルバイトしていた大連出身の中国人(満州族)を
案内人にして娘と行きました。
戦前秦皇島に住んでいたことがありましたので面影を求めて行ってみました。

大連ではかの憧れの大和ホテルに宿泊しました。
中国人はもっと新しいホテルを進めましたが、
いや!大和ホテルだと主張しましたよ。

確か日露戦争の後、紆余曲折あるようですが、
私が一番感銘受けたのは食堂の窓ガラスです。
戦前の建物にはめ込まれていた波打ったガラスです。
大事に使っているんだなと感無量でした。

話は外れますが、昔代々木の古賀政男記念館の戦前の建物や
青梅の作家吉川英治邸もそんなガラスでした。
ヤマトホテル - Wikipedia

年月は違いますが、オールドジャズバンドで有名な
上海の和平飯店にも泊まったことがあります。

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中山広場の一番目立つところにある大和ホテル、
しかし、屋上に電光広告が乗っています。
興覚めです。

広場では中国人が連日太極拳やダンスに興じています。
中国各地で朝早く老人が集まって遊戯や太極拳をやるのは
子孫繁栄の意味があると村田春樹さんに教わりました。

昔は日本も中国も庶民は夫婦の部屋と言うものはなくて狭い部屋に雑魚寝が普通だったので老人は朝早く外出するのが当たり前だったそうです。
その間に若夫婦は子作りにはげんでいたそうです。
そうするとそんな習慣のない日本の若夫婦はいつ小作りするので
しょうか。
2
連日集団で集っています
3

広場の周りには戦前の趣のある建物群でしたが、
後ろは高層ビルが林立していました。

大連から飛行機で渤海湾を越えて秦皇島に行きました。
秦皇島では夏休みなので燕山大学の先生がガイドを
務めてくれました。

昔父は日系の長城炭坑に務め、
長い赤レンガで囲まれ門番のいる門を入つた所に
赤レンガの社宅がありました。
だから残っていると期待していましたが、
それらしいのもありましたしたが、
しょぼくれた建物しかありませんでした。
炭坑も長城炭坑だったと言う炭坑事務所に行ってみました。
この辺りの炭鉱は殆ど休業状態でした。
つくづく父が生きているときに一緒に来ればよかったと
思いました。
親孝行したいときには親は亡し!

秦皇島
秦皇島は渤海湾に面してかの有名な万里の長城が始まる処です。
秦皇島
上左の写真は旅順、他は万里の長城の始まり