令和4年12月4日(日)晴れ 富士山おぼろ



いつ見ても飽きない

体操終わってからいつもここで嚥下体操(発声)しているグループ


今日はあやうかったわ。
手帳も冷蔵庫に貼ってあるカレンダーにも
今日の予定は白紙だった。
体操会の会長さんから再三お誘い受けていた
↓の催しに午後から行くつもりだった。
会長さんと体操会のスタッフが合唱するので必ず来てくれと
言われていました。
その前に柚子ジャムを作り始めていた。
そこへ村田さんから電話あり、
予定のある時はぼけ老人の私に注意喚起の
電話をしてくれるのです。
今日は日本書紀の勉強会だったのです。
あああ~
大急ぎで支度して駆け付けましたよ。
バスで区民センターの前を通りましたらすごい人出でした。
何か蒸して売っています、
早めに出てあれを買いたかったな~


日本書紀の勉強は巻第28天武天皇の巻でした。
かの有名な壬申の乱の件でした。
先生の話を聞いていた時はよく理解出来なかったので
ネットで検索してようやく少し理解しました。
壬申の乱は飛鳥時代に、大海人皇子と大友皇子のふたりが
繰り広げた皇位を争った内乱です。
大海人皇子は天智天皇の弟、大友皇子は天智天皇の子供。
ふたりは叔父と甥の関係です。
時の天皇家のルールでは、天皇に同じ母から生まれた弟がいる場合は、現行の天皇の後継者は弟であるとされていました。
つまり大海人皇子が正統な後継者です。
ところが、天智天皇は弟よりも自分の子供である大友皇子を
後継者にしたいと考えました。
後継者にしたいと考えました。
天智天皇の決断をきっかけに、彼らは皇位を巡って争うように
なったのです。
なったのです。
壬申の乱の結果、673年に大海人皇子が即位し
「天武天皇」となります。
「天武天皇」となります。
おかげさまでありがとうございます。
日本書紀も復習すると良く判りますね。
mamasango672
が
しました