令和4年1月4日(火)晴れ 富士山見える
今日は忙しかった。
その足で六本木の心臓の専門病院に行く。
今日はペースメーカーが正常に作動しているかメーカーから
技術者が来て検査する診療だった。
ぺースメーカー手帳を持参しなければならなかったが、
どこかに仕舞いこんで見つからないことを述べたら
メーカーの方が再発行して送ってくださると言う。
六本木ヒルズに併設(?)しているホテルの門松が立派
技術者が来て検査する診療だった。
ぺースメーカー手帳を持参しなければならなかったが、
どこかに仕舞いこんで見つからないことを述べたら
メーカーの方が再発行して送ってくださると言う。
六本木ヒルズに併設(?)しているホテルの門松が立派
終わってから新宿で下車して昼食を食べヨドバシで買い物する
予定だったが疲れていたのでまっすぐ帰宅した。
予定だったが疲れていたのでまっすぐ帰宅した。
六本木で買って来たパンを食べてしばらくしたら
とても疲れていることに気がついたので
3時頃昼寝することにした。
さて、6時30分頃ぱっと眼が覚めました。
辺りは真っ暗、目覚ましも掛けていない。
あちゃ~やってしもうたわ!!
皆勤ならず!
暫くして寝巻も着ておらず何か変と気がついて昼寝だったと
安堵しました。
安堵しました。
帰宅後パン二個食べた
パン屋と言えば以前にも書いたと思うけどまた書くわ、
私がパンというものに目覚めたのは戦後すぐです。
我が町のメインストリートである大通の両側に川(排水溝)があり、 其の片側の崖の傍の溝上にバラックの建物がずらりと建てられ、
マーケットと言われる小さな商店が並びました。
その中にパン屋は開業した。
パンを焼く生まれて初めてかぐ匂いに魅了された私は
学校帰りに毎日遠回をしてかぎに行きました。
パンの種類はコッペパンだけでした。
お小遣いを持たせてもらえなかったので匂いをかぐだけでした。
長じて街を歩いていてその匂いがしてくるとすぐに入り込み
買わずにはいられなくなりました。
自分で焼くようになってからはあまり買わなくなりましたね。
パン屋と言えば以前にも書いたと思うけどまた書くわ、
私がパンというものに目覚めたのは戦後すぐです。
我が町のメインストリートである大通の両側に川(排水溝)があり、 其の片側の崖の傍の溝上にバラックの建物がずらりと建てられ、
マーケットと言われる小さな商店が並びました。
その中にパン屋は開業した。
パンを焼く生まれて初めてかぐ匂いに魅了された私は
学校帰りに毎日遠回をしてかぎに行きました。
パンの種類はコッペパンだけでした。
お小遣いを持たせてもらえなかったので匂いをかぐだけでした。
長じて街を歩いていてその匂いがしてくるとすぐに入り込み
買わずにはいられなくなりました。
自分で焼くようになってからはあまり買わなくなりましたね。
支那で饅頭屋はありましたけどパン屋と言うものは
無かったと思う。
その他にアイスキャンデー屋も開業しました。
ただ甘いだけの棒状のアイスキャンデーでしたが、
出来た当座は毎日行列して買いました。
甘味は人口甘味料のサッカリンでした。
そのうちにサッカリンは毒だから食べるなと
大人が子供に言い聞かせていましたね。
店先のでかい冷凍庫のような箱の中で製造していましたね。
私はいつもその作業を見るのが好きでした。
無かったと思う。
その他にアイスキャンデー屋も開業しました。
ただ甘いだけの棒状のアイスキャンデーでしたが、
出来た当座は毎日行列して買いました。
甘味は人口甘味料のサッカリンでした。
そのうちにサッカリンは毒だから食べるなと
大人が子供に言い聞かせていましたね。
店先のでかい冷凍庫のような箱の中で製造していましたね。
私はいつもその作業を見るのが好きでした。
焼き林檎バターの匂いが満ち溢れる家って
お主の家はハイカラだったのね、
私の家の匂いはたばこかな、
両親、祖父の3人が吸ってた、
でも息苦しくは無かったな、
家は木造の古屋だったからスケスケだった。
mamasango672
がしました